夏曽佑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/16 05:48 UTC 版)
夏曽佑 | |
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プロフィール | |
出生: | 1863年(清同治2年10月) |
死去: | 1923年(民国12年)3月15日![]() |
出身地: | ![]() |
職業: | 学者 |
各種表記 | |
繁体字: | 夏曾佑 |
簡体字: | 夏曾佑 |
拼音: | Xià Zēngyòu |
和名表記: | か そうゆう |
発音転記: | シャー ヅォンヨウ |
ラテン字: | Hsia Tzeng-you |
夏曽佑(か そうゆう)は清末民初の学者。仏教研究と歴史研究に成果を上げた。字は穂卿、号は別士または砕仏[1]。
清朝光緒十六年(1890年)に進士となった[1]。梁啓超・譚嗣同・厳復らと親しく、維新活動に身を捧げた[1]。梁啓超は彼のことを「晩清思想界の革命的先駆者」と称賛した。夏曽佑は「孫仲容を敬し、章枚叔を畏れ、厳幾道を友とする」と語っている。戊戌の変法の失敗後は安徽省祁門県の知事となったが、母親の死去に際して喪に服すため下野した[1]。以後、古代の歴史研究に没頭する[1]。
50歳以降、書物を捨てて見ることがなくなった。夏いわく「天下に読むべき本はなく、語るべき人はいない」とのことであった。辛亥革命後は北洋政府教育部の社会教育に携わる部門の長に就き、その後、北京図書館(後の中国国家図書館)の館長を務めた[1]。1924年に亡くなった[1]。
後世に伝わる著作は多くはないが、『中国古代史』などがある。動物学者の夏元瑜は子である。
出典
固有名詞の分類
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