墓所・遺骸について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 10:14 UTC 版)
法名は台徳院殿興蓮社徳譽入西大居士。墓所は東京都港区の一角にあった台徳院霊廟であったが戦災で焼失し、昭和33年(1958年)に台徳院霊廟が増上寺本堂近くに移転改築された際、土葬されていた秀忠の遺骸も桐ヶ谷斎場で荼毘に付されて改葬された。この際に秀忠の遺体の調査が行われたが、その遺体は、棺の蓋や地中の小石等の重みにより、座した姿勢のままその衣服等とともに縦に圧縮され、畳んだ提灯の如くつぶれていた。圧縮により変形が激しく、また骨が著しく分解され軟化していたため、詳細な調査は不可能であった。毛髪等の調査の結果、秀忠の血液型はO型で、四肢骨から推定した身長は157.6cmであった。また、かつての霊廟室内には宝塔が祀られていたが、こちらも戦災で焼失した。現在は御台所達子(崇源院)と共に合祀されている。
※この「墓所・遺骸について」の解説は、「徳川秀忠」の解説の一部です。
「墓所・遺骸について」を含む「徳川秀忠」の記事については、「徳川秀忠」の概要を参照ください。
- 墓所・遺骸についてのページへのリンク