墓地開所から第二次世界大戦直前まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 03:23 UTC 版)
「比治山陸軍墓地」の記事における「墓地開所から第二次世界大戦直前まで」の解説
現在の真田山陸軍墓地。第二次世界大戦前の比治山陸軍墓地は、当時の法律に基づき全国共通の規格で作られていた。 1872年(明治5年)に比治山南部を陸軍墓地に指定。建設当時は、現在のNHKの電波塔や放射線影響研究所の一帯を占め、当初は規定に基づき約2,500坪から約2,800坪(約8,264 m2から約9,256 m2)だった。火葬が一般化する前だったので、広島で土葬にし、遺族が遺族手当などを使い比治山墓地の土地を購入。日本全国から墓参に訪れた。また、戦役ごとに訪れた報道人も存在した。 また墓地内には、山陰や四国から運ばれた石で作られた慰霊碑も作られた。 墓地の高台では、大正中期頃から1928年(昭和3年)4月まで「ドン」と呼ばれた12時の時報として空砲を撃っていた。
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