境涯句
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 21:51 UTC 版)
一茶は早い時期から自らの生活苦、孤独、各地を旅する姿、つまり己の境涯を句にしていた。50歳を過ぎ、故郷に定住して遅ればせながらも妻を迎え、家庭を持った後は、境涯句にもくつろいだ印象が加わるようになった。しかしその後相次ぐ子どもの死、妻の死別、再婚の失敗、2度の中風と、立て続けに一茶の身に不幸が襲った。結果として一茶を襲った様々な不幸は、一茶の句に最後まで緊張感をもたらすことになった。 荻原井泉水は、妻を亡くした後に詠んだ一茶の句を評して、芭蕉以来の伝統的風雅とは全く異質なもので、人情をぶっつけに書いたものであるとして、自然の趣ばかりではなく人間の心そのものも立派に俳句となりうることを実証した最初の俳人であると評価している。 また一茶の句の欠点として、恋の句が不得手であることが挙げられる。金子兜太は一茶に恋愛を詠んだ佳句が見られない理由として、独身時代、本気で恋愛感情を抱いた女性がいなかった上に、女性にもてなかったのではとの説を唱えている。
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