塩鉄会議とは? わかりやすく解説

塩鉄会議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 06:42 UTC 版)

塩鉄論」の記事における「塩鉄会議」の解説

ところが、こうした方針儒学者は「国家民間利益を争うことは卑しいことである」と批判し国家権力参入によって「民業圧迫」の状態に陥って大打撃受けた商人たちも不満を強めていった。武帝死後政権参加するようになった外戚大将軍霍光は、こうした批判受けて政策修正図ろうとした。だが、桑弘羊らがこれに強く反対した。このため昭帝始元6年紀元前81年)に、民間有識者である賢良文学称され人々である唐生・生ら60名を宮廷招いて丞相・車千秋御史大夫桑弘羊政府高官との討論会(塩鉄会議)が行われた。 法家思想基づいて価格安定によって民生安定図っている」と唱える政府側と、儒家思想基づいて国家倫理観問題加えて政府諸政策の実態決し民間需要かなっているわけではないために、かえって民生の不安定招いている」とする知識人側との議論は、財政問題から外交内政教育問題にまで及ぶなど激し議論続けられた。議論自体知識人側の優位に進んだものの、具体的な対案出せなかったために結果的に現状維持決められ、さらに翌年桑弘羊別件処刑され霍光政権掌握した後も、実際財政状況深刻なものになっていることが判明したためか、酒の専売廃止した他は、そのまま前漢末期まで維持されることとなった

※この「塩鉄会議」の解説は、「塩鉄論」の解説の一部です。
「塩鉄会議」を含む「塩鉄論」の記事については、「塩鉄論」の概要を参照ください。

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