坂本九と「あゆみの箱」
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「あゆみの箱」の記事における「坂本九と「あゆみの箱」」の解説
歌手、映画俳優、司会者の坂本九は、生前この「あゆみの箱」運動に熱心に取り組んだ。 上述の通り、創設間もない頃から街頭募金活動やチャリティショーに参加、その後は手話の普及や「ふれあい広場・サンデー九」(札幌テレビ、1976年 - 1985年)の司会を務めるなど、一連の福祉関連の慈善事業に関わるようになった。また、1965年に自身が発表したシングル盤レコード『ともだち』は、あゆみの箱のテーマソングとして世に出たものでもある。 坂本九の熱心なチャリティ活動は世間の評価を受け、坂本自身も伴や森繁の後継者とも目されていた。周囲も「次の世代は、九ちゃんがあゆみの箱を背負ってやるんだ」と納得していたという。しかし、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故により43歳で死去。 妻の柏木由紀子や娘の大島花子は坂本の遺志を受け継ぎ、理事の黒柳を通じ「あゆみの箱」事務局を訪問、障害者支援団体の立ち上げを計画していた。
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