地主貴族層の形成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/22 00:37 UTC 版)
ジェントリは中世における最下層の領主身分の総称であった。イングランド王国の貴族の多くは、ウィリアム1世によるノルマン・コンクエストの際にイングランド各地に封じられたノルマン人を起源に持つが、ジェントリはそれ以前からの在地の有力者・領主たちであった。そのため貴族の勢力が強かった14世紀から15世紀にかけて、ジェントリはそれぞれ有力貴族の家臣として仕えることが多かった。しかし、薔薇戦争で多くの貴族の家門が絶えて貴族勢力が大幅に減じると、ジェントリ階級は薔薇戦争を制したテューダー朝の下で重宝され、減少した貴族の隙間を埋める領主勢力として頭角を現しはじめた。薔薇戦争以外にも、百年戦争や黒死病を始めとする封建制社会の動揺を経て、16世紀には封建領主から地主へと転化が進んで行ったが、ジェントリは貴族とともに「地主貴族層」として扱われ、一定の尊厳を保ちつつ20世紀初頭に至るまで社会影響力を保持し続けた。 19世紀までのイギリスにおいて、爵位を持つ貴族の家門は他の大陸諸国と比べ極めて少なく、また貴族とジェントリの間に称号(及び貴族院議員資格)以外の特権な差異は存在しなかった。そのため両者は「地主貴族層」として一つの伝統的エリート層(ジェントルマン)を形成し、社交界を通じて両者の通婚化は進み、スクワイアラーキーと呼ばれる強固な地主支配体制を構築していった。
※この「地主貴族層の形成」の解説は、「ジェントリ」の解説の一部です。
「地主貴族層の形成」を含む「ジェントリ」の記事については、「ジェントリ」の概要を参照ください。
- 地主貴族層の形成のページへのリンク