地主三聖から山王三聖へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/13 19:35 UTC 版)
良源により「地主三聖」の信仰が定着するにつれ、「地主三聖」は徐々に「山王三聖」と呼ばれるようになっていった。なお、「地主山王」と呼ばれた時期もあった。「地主三聖」の語は三塔の存在を意識して、それぞれの「地主」を強調しているが、「山王三聖」の「山王」の語は、寺院というより、比叡山という山全体に関わる神を意識しているとされる。 特に、正暦4年(993年)の叡山分裂以降、「山王三聖」の語は定着していったとされる。なお、「山王三聖」の語が文献に現れた最初は、康保5年(968年)の太政官牒であるとされる。 なお、円珍が個人的に祀った「山王(山王明神)」とは、円珍が実際に夢でお告げを受けたということから、確かに「実在」すると信じられた神を指したものであるが、良源の場合、「山王」の語には確かに実在するという重みはなく、ただ「地主三聖」の総称に過ぎず、抽象的な概念にとどまっていたとされる。
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