地主三聖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/13 19:35 UTC 版)
延暦寺の第18代座主であり、比叡山中興の祖とされる良源は、天禄3年(972年)に、比叡山の「横川」を、東塔・西塔に匹敵する地位を持つ独立地区として認めた。もともと、横川の発展には良源が大きく関わっており、その独立の裏にも、良源の意向があったとされる。以後、良源の意向は、古くから存在する東塔・西塔よりも、横川に大きく影響するようになった。 独立した横川は、西塔と同じように独自の地主神を求め、聖真子(しょうしんし)を信仰するようになった。聖真子の信仰は、既に、康保5年(968年)に認められるとされ、「聖真子」の名は法華経により、正統な仏法の後継者を意味するもので、神名であると同時に法号であり、日本古来の神々の系譜から切り離された独自のものとされるなど、神仏習合の最たるかたちを示しているとされる。 ここに、良源の思惑により、大比叡神(東塔)・小比叡神(西塔)・聖真子(横川)の「地主三聖」が成立した。 だが、円珍によって定められた「両所三聖」を信仰していた僧たちは、良源に導かれて成立した「地主三聖」の信仰に反発することとなった。良源は「地主三聖」の信仰に反対する僧たちを僧籍から除名するなどし、後の山門・寺門分裂への流れを生み出していくこととなる。
※この「地主三聖」の解説は、「山王信仰」の解説の一部です。
「地主三聖」を含む「山王信仰」の記事については、「山王信仰」の概要を参照ください。
- 地主三聖のページへのリンク