在位・非在位をめぐる議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 18:59 UTC 版)
「長慶天皇」の記事における「在位・非在位をめぐる議論」の解説
天皇の在位・非在位の議論は近世初期からあり、林春斎(『日本王代一覧』他)を始め、榊原忠次(『新葉和歌集作者部類』)や徳川光圀(『大日本史』)は在位説を、新井白石(『読史余論』)や前田綱紀、塙保己一(『花咲松』)は非在位説を唱えた。議論は明治に持ち越され、正統史学者はおよそ在位説であったが、黒川真頼や菅政友・谷森善臣らは非在位説を論じた。大正に入って、八代国治の発表した一連の研究が有力な在位論として評価され(後に『長慶天皇御即位の研究』として刊行)、また同時期に武田祐吉によって発見された『耕雲千首(英語版)』古写本の奥書から「仙洞並当今」、すなわち上皇と天皇が元中6年(1389年)に並存していたことが明らかとなり、後村上天皇崩後のこの時期に仙洞の資格があるのは長慶上皇しか存在しないとして八代の見解を補強した。これら新出史料を駆使した研究成果は従来の在位説をより確定的なものとし、その後の宮内省による調査を経て、大正15年(1926年)10月21日皇統加列の詔書が発布され、長慶天皇は正式に第98代天皇として公認された。 長慶天皇登列の詔書 朕󠄂惟フニ長慶天皇在位ノ事蹟ハ史乘ノ記述󠄁審ナラサルモノアリ今ヤ在廷ノ臣僚ニ命シ深究精󠄀覈セシメ其ノ事蹟明󠄁瞭ナルニ至レリ乃チ大統中同天皇ヲ後村上天皇ノ次󠄁ニ列ス茲ニ之ヲ宣示ス 御名 御璽 攝政名 大正十五年十月󠄁二十一日 宮內大臣 一木喜德郞內閣總理大臣 若槻禮次󠄁郞
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