土屋勝正とは? わかりやすく解説

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土屋勝正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/13 09:24 UTC 版)

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土屋 勝正(つちや かつまさ、生年不詳 - 寛永21年8月16日1644年9月16日〉)は、江戸時代前期の武士旗本。通称は市之丞。父は土屋昌吉。妻は今村重長の娘。子に勝乗、娘(安藤市兵衛の妻)、娘(岡部吉次の妻)、娘(朝岡泰直の妻)、養子に土屋正敬甲斐庄正述二男)がいる。

生涯

土屋勝正は、17歳より徳川家康に仕えた。慶長5年〈1600年〉関ヶ原の戦いに従軍し、尾張清須城大番を勤めた。その後、伏見城で大番を勤め、大番三組のうち松平康安の組に配属となる。慶長7年〈1602年〉大和国に知行200を賜ったが、蔵米二百に変更された。慶長8年〈1603年〉岡野房恒と共に近江国を巡視する。慶長19年〈1614年〉組頭元和元年〈1615年〉大坂夏の陣の時、徳川家康が二条城から進発するとき、勝正の組の番頭松平康安が落馬により負傷した。そのため勝正は、松平勝隆水野忠分らの指揮下に入った。家康が駿府城に帰還するときにも付き従った。

寛永2年〈1625年〉本領安堵の御朱印を賜る。知行と蔵米を合わせて610余石となる。寛永7年〈1630年〉御使番。寛永9年〈1632年〉稲葉正勝相模国転封する際、小田原城引渡し役を勤め、寛永10年〈1633年〉内藤忠重志摩国鳥羽に加増移封されたときは、鳥羽までおもむき仰を伝えた。同年、目付。寛永11年〈1634年〉駿府町奉行。寛永21年〈1644年〉8月16日死去。

参考文献




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