土地転がし騒動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 10:03 UTC 版)
1987年3月、日産車体はこの問題を解決するために80世帯380名(当時)が居住するウトロ地区の全土地を、同地区の自治会長を自称する平山桝夫こと許昌九(ホ・チャング)に3億円で売却した。許に資金を融資したのは在日本大韓民国居留民団(現・在日本大韓民国民団)系の金融機関の旧・大阪商銀であり、その融資の連帯保証人となったのは、在日本大韓民国居留民団の京都地方本部団長であった河炳旭(ハ・ビョンウク)である。 2カ月後の1987年5月、許昌九はウトロ地区の土地を、同氏が設立した西日本殖産という名の不動産会社に4億4500万円で転売した。西日本殖産は同年4月30日に河炳旭が100万円の資本金を出資して設立されたばかりの有限会社であり、設立当時は同氏の親族が代表で、許昌九が役員であった。大阪商銀は西日本殖産への融資に対し、ウトロ地区の土地に極度額5億円の根抵当権を設定した。登記簿は中間省略され日産車体から西日本殖産への売買の形で所有権移転登記が行われた。国土利用計画法第23条による届け出は1986年12月4日に日産車体と平山より出され、京都府は審査のうえ問題ないと判断し1987年1月13日に通知をした。しかるに西日本殖産への売却に際しての届け出はなく、同法違反の疑いがある。西日本殖産の代表取締役が、一時期この平山桝夫であったという事実もあるので、その辺は若干ルーズに行われた可能性がある。 1988年9月、河炳旭はウトロ地区の土地を所有する西日本殖産ごと金澤土建という土木建築会社に売却し、ウトロ地区から手を引いた。なお当時はバブルの絶頂期であり、投機目的での短期間の土地転売による利鞘稼ぎ(土地転がし)が全国で横行した時期でもあった。西日本殖産はウトロ住民側に土地の明け渡しを申し入れたが、住民側が応じなかった。
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