土地収奪と集団移住
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 02:58 UTC 版)
1930年(昭和5年)から8年に及ぶ「蕃地開発調査」が行われ、現地警察官の立会のもとに「蕃社」単位で水田用あるいは畑作地用の適地を選定し、先住民族の安定した生活に必要な面積を、一人あたり2.883平方メートル、総面積にして24万3665平方メートルと査定した。総督府は先に、先住民族の専有する蕃地の総面積を44.5万平方メートルと算定していたので、差引20万平方メートルを収奪できると見込んだことになる。先住民族は、先祖伝来の土地から駆逐され、総督府があらかじめ「平地」へ用意していた「保留地」へ集団移住させられた。当初は移住先の保留地が肥沃であり、集団移住も順調に進んだ。しかし、台湾西部では、肥沃地はまたたく間に減少し、1934年(昭和9年)には、「平地」以外にも保留地を求めざるを得ないと認めざるを得なかった。さらには、先に移住がされていた土地に、後から追加して移住させる「割り込み移住」も行われた。
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