圓朝門下のぽん太
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三遊亭 ぽん太(さんゆうてい ぽんた、 1831年(逆算) - 1881年6月6日)は落語家。初代三遊亭圓朝門下。本名、加藤勝五郎。 元は出入りの髪結い(床屋)見習いでおもに下剃りをしていた、圓朝の下に入門する以前から愛嬌からぽん太と呼ばれていた。慶応の初めごろに三遊亭圓朝門下となり音曲や小噺をやっていた。 長州藩大村益次郎が率いる新政府軍と彰義隊が争った上野戦争に巻き込まれた際は、ぽん太が圓朝の自宅に駆けつけ弟子たちの無事を知らせたという。 性欲、物欲、出世欲がなかったが食欲が旺盛で特に蕎麦が好きで仕事に向かう途中に蕎麦屋があったら仕事そっちのけで蕎麦を食べ仕事に遅れるほどであった。また奇人変人(今でいう天然ボケ)で圓朝に可愛がられた。 晩年身寄りがなく没後の圓朝が叔父ということでお墓を作り全生庵に建っている圓朝家の墓の隣りに建てた。ぽん太という名前から、圓朝が飼っていたペットの墓だと勘違いする人もいる。戒名は「雨林宗香信士」。
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