圓朝落語の歌舞伎化
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外題不詳:明治12年(1879年)4月。東京・春木座。内容は「業平文治もの」。円朝ものの劇化作品の嚆矢とされる。評判は不詳。 『粟田口霑一節裁』:明治22年(1889念)11月。東京・春木座。 『塩原多助一代記』:明治25年(1892年)1月。東京・歌舞伎座。五代目 尾上菊五郎の主演で、宣伝の効果もあり大評判となり、『塩原多助』が修身国定教科書に登場するきっかけとなった。実在の人物は「塩原太助」であるが、修身教科書で「塩原多助」となっているのは円朝作品の影響の証左とされる。 『怪異談牡丹燈籠』:明治25年(1892年)7月。東京・歌舞伎座。同じく五代目 菊五郎の主演で、これも奇抜な宣伝が奏功し大当たりとなり、「夏は怪談物」ということのきっかけとなった。 昭和20年(1945年)以降で見ると、『文七元結』と『芝浜』を別にすれば(この2作品は円朝の代表的作品とは言えないようだから)、演じられるのは『真景累ヶ淵』『牡丹燈籠』『怪談乳房榎』のみと言ってよい。しかも前2作品は特定の場面のみである。
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