圓朝の名跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 14:55 UTC 版)
初代三遊亭圓朝は、三遊派の中興の祖である。そのため三遊派の宗家といわれる。圓朝の名跡は1900年以降、藤浦家が預かる名跡となっている。この名跡が藤浦家のものになったのは、先々代の当主である藤浦周吉(三周)が圓朝の名跡を借金の担保にして、圓朝を経済的に支援した縁によるもの。 藤浦三周から2代目襲名を許された初代三遊亭圓右は、襲名実現直前に死去したため“幻の2代目”といわれた。その後、藤浦家はこの名をどの落語家にも名乗らせていない。 現藤浦家当主は、映画監督・藤浦敦である。藤浦敦は、1996年に出した自書『三遊亭円朝の遺言』で春風亭小朝と対談し、あなたがこれからの落語界のリーダーになりなさいよ、と小朝に勧めていた。小朝の元妻・泰葉は、週刊文春2008年05月22日号で、藤浦から小朝に圓朝襲名の話が実際にあったが、小朝本人がそれを固辞したと公表した。
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