国際法学の源流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/21 05:32 UTC 版)
1539年、ビトリアはサラマンカ大の特別講義(通年の講義ではなく年1〜2回、教授に義務づけられていた講義)において「インディオについて」および「戦争の法について」を講じた。ここで彼は、植民政策をめぐる倫理学的議論において、人間の権利を自然権として根拠づけることで異教徒たるインディオ(インディアス先住民)の権利を擁護し、国際法を国家の法の上位に位置づけた。またソトもスペイン植民政策の批判的分析を通じてインディオの権利を擁護しようとし、ラス・カサスとセプルベダが争ったバリャドリッド論争(1550年)の際の審議会議長を務めた(このとき審議会委員であったカノもラス・カサスの支持者であった)。 以上の業績により、今日「国際法の祖」と位置づけられているビトリア、およびその後継者であるソトの国際法理論は、近代国際法学および自然法の父たるグロティウスにも多大な影響を与え、彼の主著『戦争と平和の法』ではこの2人の著作が頻繁に引用されている。
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