国教会関連法案の議会通過をめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 16:53 UTC 版)
「ウィリアム・セシル (初代バーリー男爵)」の記事における「国教会関連法案の議会通過をめぐって」の解説
1559年1月にエリザベス女王即位後の最初の議会が招集され、エリザベスとセシルはイングランド国教会のプロテスタント化を推進する「国王至上法(英語版)」と「礼拝統一法(英語版)」を議会に提出した。 同法案は庶民院を通過したものの、貴族院でカトリック聖職者の反発を受けて否決された。女王とセシルは法案を軟化させる修正を行い、1559年の復活祭後に召集された議会に法案を再提出した。「国王至上法」ではヘンリー8世時代の「国王至上法」の「首長」という表現を「統治者」に代えることで君主が教会について万能ではないことを暗示し、カトリック聖職者に受け入れやすくしていた。また「礼拝統一法」では使用を義務付ける国教会共通祈祷書についてプロテスタント的な1552年版の物をより曖昧にして、広範な信徒に受け入れやすくしていた。こうした処置により「国王至上法」は大きな反発なく可決され、「礼拝統一法」もわずか3票差ながら、なんとか貴族院を通過させることができた(ただこの際に2人のカトリック司教を逮捕して投票に参加させないという強引な手段も使っている)。
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