国内線初のジェット機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 18:48 UTC 版)
「コンベア880」の記事における「国内線初のジェット機」の解説
日本では日本航空(JAL)が8機、日本国内航空(JDA:のちに紆余曲折を経て最終的に日本航空に吸収合併)が1機のCV880-22Mを購入した。日本航空は、まだダグラスDC-8を投入するほどの需要はないと考えられていた東南アジア路線向けにDC-8-30型機よりサイズの小さい機材の導入を検討した結果、CV880が妥当として1960年(昭和35年)4月に発注した。 国内幹線では4発レシプロ機DC-4系を、東南アジア線などを近距離国際線ではDC-4の後継機のDC-6を主力として運用していた日本航空だったが、国内幹線ではビッカース バイカウントを投入した全日空、近距離国際線では1959年(昭和34年)5月にターボプロップ機のロッキード L-188を導入したキャセイパシフィック航空に対して一時的に劣勢を強いられていたこともあり、まず1961年9月に3機を東京-札幌線で国内線初のジェット機(愛称「ジェットアロー」)として導入し、続いて他の東南アジア路線や国内幹線、さらに南回りヨーロッパ線へと順次航路拡大した。
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