だん‐たくま【団琢磨】
団琢磨 だん たくま
福岡生まれ。実業家、三井財閥の統率者。父は福岡藩士。明治4年(1871)渡米し鉱山学を学び、11年(1878)帰国した。17年(1884)工部省に入省、三池鉱山局に勤務したが、21年(1888)三池炭鉱が三井に払い下げられると、三池炭礦社の事務長に就任、敏腕をふるった。明治32年(1899)工学博士。42年(1909)三井財閥の本社として三井合名会社が設立されると参事に就任、大正3年(1914)理事長となり三井を統率した。日本工業倶楽部理事長等、財界団体の役員も数多く兼ねた。昭和3年(1928)男爵。7年(1932)右翼団体血盟団員に暗殺された。
キーワード | 実業家 |
---|
(注:この情報は、国立国会図書館ホームページ内の「近代日本人の肖像」の内容を転載しております。掲載内容の複製については、国立国会図書館の許諾を得る必要があります。)
團琢磨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/04 13:34 UTC 版)
團 琢磨(だん たくま、1858年9月7日(安政5年8月1日) - 1932年(昭和7年)3月5日)は、日本の工学者・実業家。爵位は男爵。マサチューセッツ工科大学で鉱山学を学び、三井三池炭鉱の経営を行う。経営を成功させ、三井財閥の総帥となった。三井合名会社理事長、日本工業倶楽部初代理事長などを歴任した。
- ^ a b 團理事長談話速記 其五. 不明
- ^ a b c d e “団琢磨”. 三井広報会. 2020年9月22日閲覧。
- ^ "General Catalogue" Massachusetts Institute of Technology, 1899, p222
- ^ 三井王国の元老・団琢磨『東京朝日新聞』昭和7年3月6日夕刊(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p117 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ a b “団琢磨が事務長に就任”. 大牟田市石炭産業科学館. 2020年9月22日閲覧。
- ^ 『綱町三井倶楽部』石田繁之介、長横行な美術出版
- ^ 今度は三井合名理事長団琢磨、射殺される(『昭和ニュース事典第4巻 昭和6年-昭和7年』本編p115 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 『官報』第3440号「叙任及辞令」1924年2月14日。
- ^ 『官報』号外、「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
- ^ 佐藤『豪閥』、189頁。
- ^ 小倉常吉『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
- ^ 東京高等裁判所 昭和28年(ね)1797号 判決大判例、学術研究機関 大判例法学研究所
- ^ a b c d 小谷野『日本の有名一族』、45-46頁。
- ^ 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』、633頁。
- ^ 佐藤『門閥』、449-451頁。
- ^ 大牟田市定例市長会見 平成23年2月9日開催[1]
- ^ 【来る年・来る娘】團遥香 - SANSPO.COM 2011年1月4日
団琢磨と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 団琢磨のページへのリンク