和解および後日談
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:57 UTC 版)
その後、1976年(昭和51年)3月11日、差戻し審である東京高裁においてこの事件は訴訟上の和解という形で決着を見ることとなったが、裁判を終えた後の会見において、高野が未だ30代半ば頃であるにもかかわらず、1963年(昭和38年)以来、実に13年の長きにわたり大企業を相手に争った疲れからか、頭髪の色がすでに白くなっていた。高野はその後復職し、三菱樹脂の100 %子会社であるメンテナンス会社「ヒシテック」の社長という地位にまで出世したが、2005年(平成17年)8月22日、脳梗塞のため65歳で死去した。
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