和約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 00:37 UTC 版)
マルカム3世の侵略や、スコットランド王家とウェセックス家の婚姻関係は、ウィリアム1世にとって大きな脅威となった。彼は1072年に北征を開始した。彼の軍はチェーンメイルを着て早馬に乗った騎士を中心としており、イングランドからスコットランド東岸に送られた艦隊から補給を受けて進軍した。イングランド軍はフォース湾を渡り、パースシャーのアバネシー付近でマルカム3世を破ったが、ここがノルマン軍の北上限界だった。ウィリアム1世とマルカム3世はアバネシーの和約を結び、アングロサクソン年代記によれば、マルカム3世は「ウィリアム1世の家臣」(William's man)となった。条文が現存していないため和約の詳細は明らかになっていないが、この条約でマルカム3世の息子ダンカンがイングランドの人質となり、エドガー・アシリングがスコットランド宮廷から追放されることが定められたようである。その見返りとして、マルカム3世はカンブリアを封土として獲得した。
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