吉川氏に仕える
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 03:18 UTC 版)
彌六左衛門はその後、吉川元春に仕えた。天正5年(1577年)6月、元春から吉浦(現在の広島県呉市吉浦町)で田二町六十歩、畠五段、屋敷八ヶ所を与えられている。吉浦は野間氏の旧領であり、大永年間には水軍を率いた野間刑部大輔という人物がみえる。彌六左衛門は、吉浦にあって吉川氏の水軍を率いたのかもしれない。なお近世の吉川氏家中には、野間家臣を出自とし、岩国転封以前は呉に居住していたという芦浦氏や阿賀氏、呉氏などの水夫がいた。 彌六左衛門の没年は不明だが、死去の報に接した吉川元春が家臣の山縣越前守に対し、憐愍をもって召使う旨を彌六左衛門の遺児・彦九郎に伝えるよう命じている。
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