山県長茂とは? わかりやすく解説

山県長茂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/19 17:54 UTC 版)

 
山県長茂
時代 安土桃山時代 - 江戸時代前期
生誕 永禄3年(1560年
死没 慶安3年3月23日1650年4月22日
別名 源右衛門、源右衛門尉
主君 吉川元長広家広正
氏族 源姓頼綱安芸山県氏

山県 長茂(やまがた ながしげ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武士吉川氏の家臣。

吉川経家の最期を記した「山県長茂覚書」を遺した人物として著名である。

生涯

安芸国国人である安芸山県氏の出身。安芸国吉田で生まれ、11歳の時に新庄へと移り、吉川元長の家臣となった。天正9年(1581年)3月、吉川経家に従い鳥取城へと入城。同年秋まで籠城戦を続け、生還した。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後は周防国岩国へと移住、瀬田・柳井田を領して、引き続き吉川氏に仕えた。寛永21年(1644年11月11日付で、吉川経家の孫・正実に宛てて「山県長茂覚書」を記した。

慶安3年(1650年)、死去。

山県長茂覚書

寛永21年(1644年)11月11日付で、吉川正実に宛てて送られた覚書で、上月城の戦い宇喜多氏南条氏の裏切り、鳥取城の戦いの前後を記しており、全体で三十三条から成る。そのうちの多くが鳥取城の戦いの記述である。この鳥取城の戦いには山県長茂も参戦して籠城しており、今日伝わる吉川経家の最期の多くは、この山県長茂覚書からの出典となっている。

出典

  • 岩国藩御家中系図(岩国徴古館蔵)

山縣長茂(やまがた ながしげ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「山縣長茂(やまがた ながしげ)」の解説

通称は源右衛門尉石見吉川家家臣。経家の側近で共に鳥取城入城する。経家の才覚を誰よりも信頼しており、経家が織田降れば毛利なぞ明日にも滅ぶ断言し自身本音毛利滅ぼしても経家の名を天下轟かせたいと語った鳥取城降伏した際に、赦免され経家の最期伝えている。

※この「山縣長茂(やまがた ながしげ)」の解説は、「センゴク」の解説の一部です。
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