吉川氏家臣となる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/10 08:16 UTC 版)
年月は不明だが、この頃より、香川春継は毛利氏ではなく、吉川氏(毛利元就の次男・吉川元春)に仕えるようになった。元春らの強い要望があったともされる。また、春継の「春」の字は吉川元春の偏諱を賜ったものと思われる。豊臣秀吉の九州征伐が開始されると、春継も吉川軍の一員として九州に出陣。天正14年(1586年)、高橋元種の籠もる豊前国香春嶽城を攻撃、粟屋就光らとともに三の岳を攻略して、高橋元種の降伏に貢献した。 天正19年(1591年)、黒田孝高より、吉川広家が月山富田城を居城としたいという要請を、豊臣秀吉に取り成したという書状を香川春継宛に送っており、吉川家中で春継が重用されていることが伺える。
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