史料の探訪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:51 UTC 版)
延宝2年(1674年)、佐々十竹が彰考館に入り、同4年(1676年)から史館員を遠隔地に派遣しての史料調査が行われた。 史料の閲覧を許可された場合には、金銭を支払う場合の他、水戸藩の和紙や海苔、鮭を謝礼に送った。吉野の吉水院には、秘蔵の文書を特別に旅籠まで貸した院主の計らいに対し、礼を述べる光圀の書状が残されている。しかし、文書の秘蔵や虫損を理由に、文書の閲覧を断られることもあった。 史料調査では、訪問先の神社仏閣はもとより、通過・滞在する藩や旗本領などの協力が必要であったが、史館員の記録や書簡からすると、ほとんどの領主は派遣員を歓迎し、手厚く接待した。史館員の派遣に幕府の許可を得ていたかは不明であるが、少なくとも黙認はしていたようであり、後の諸国漫遊譚形成の一因になったと考えられる。
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