台湾省参議会(1946年5月 - 1951年12月)
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台湾を受領した国民政府は1945年12月に「台灣省各級民意機關成立方案」を公布し、各地で県・市参議会が成立した。翌年4月、この県・市参議会から各1名、合計30名の省参議会議員30名が選出され、5月に台湾省参議会が成立した。1947年には中国国民党と協力関係にあった中国民主社会党と中国青年党から計6名の議員を選出することとなった。所在地は台北市南海路54号の現・二二八国家記念館であった。 また、任期は2年とされたが、その後二・二八事件など政治混乱により結局、1951年12月まで任期が延長された。その間、一部の省参議会議員が「228事件処理委員会」を組織し、後に殺害や逮捕などの弾圧を受けている。また、1950、1951年の間に地方行政区画が変更され、各県・市議会も普通選挙で選出されることとなった。そのため、旧区画の県・市参議会による間接選挙で選ばれた省参議会は解散された。しかし、省議会の直接選挙は直ぐに実現しなかった。というのも、228事件により本省人と外省人の対立(省籍矛盾)が決定的となり、台湾人を代表する議会の存在は、国民党政府にとって好ましいものではなくなったからである。
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