台湾・北日本の旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 21:57 UTC 版)
1928年(昭和3年)中田は中田羽後と金森通倫と共に台湾の井上伊之助を訪問して、各地を回り、台湾、高雄にも行った。9月7日に帰国した。10月には、北に向かって出発して、水戸、日立鉱山、仙台、一ノ関、函館、小樽、札幌、旭川、釧路、野付牛、美幌、網走を回り、大泊で昭和天皇の御大典祝典の集会をし、そこで日本メソジスト教会の牧師吉崎俊雄に会った。11月16日に帰京した。 12月4日の中田あやめの妹今井梅代が死去する。保坂一(武蔵)と繁を引き取ることになった。12月7日より、大阪の関西リバイバル聖会に金森と一緒に出席して、鳥取、中国地方を回って12月22日に帰京する。 1929年(昭和4年)1月29日の宗教法案反対の信徒大会が青山会館で開かれて、中田と金森と綱島佳吉、富永徳磨と共に講演した。12日5日に後に、中田の四女豊と結婚する岡本吾市がアメリカより帰国した。
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