古筆家・別家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 08:50 UTC 版)
了佐には 四男一女があった。2代目は三男の三郎兵衛が継ぎ、古筆了栄を名乗った。古筆家は安土桃山時代以降、連綿と一子相伝し、第13代了信に至り、昭和20(1945)年まで古筆の鑑定に携わっていた。 了佐の次男、勘兵衛は江戸に出て、勘兵衛の子、守村(もりむら)が同じ勘兵衛を襲名し、古筆了任を名乗った。この了任が京都の本家とは別に古筆別家をたて、幕府に仕え、鑑定の仕事に専念した。幕府の組織の中では寺社奉行の傘下に置かれ、古筆見(こひつみ)という職名を与えられた。分家は二代 古筆了任に至る昭和8(1933)年まで古筆鑑定家としての命脈を保った。二代 了任は自らも作陶を好み、その作品が複数現存する。さらに門人もそれぞれ栄え、古筆鑑定は職業として成り立つことになる。こうした古筆家及びその門人たちは江戸時代中期以降から古筆のみならず古画や茶道具の鑑定にも携わり、その箱書を伴うものも多数現存している。
※この「古筆家・別家」の解説は、「古筆了佐」の解説の一部です。
「古筆家・別家」を含む「古筆了佐」の記事については、「古筆了佐」の概要を参照ください。
- 古筆家別家のページへのリンク