原田種成 (司法官)とは? わかりやすく解説

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原田種成 (司法官)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/28 14:58 UTC 版)

原田 種成(はらだ たねなり、1841年2月20日天保12年1月29日[1]) - 1903年明治36年)12月3日[2][注 1])は、日本武士佐賀藩士)、司法官大審院部長判事

経歴

肥前佐賀藩士[3]。士族・原田矞雲の二男[1]戊辰戦争では北陸道の先鋒となり奥羽に転戦し戦功を挙げた[1][3]1872年(明治5年)司法権大録を経て、岩崎直礼、中村元嘉らと権大解部に昇り、1876年(明治9年)司法権少丞に任じた[3]1877年(明治10年)大阪上等裁判所判事に補され、1882年(明治15年)大分始審裁判所判事長に転じ、1884年(明治17年)2月に大審院詰となった[3]。ついで大審院評定官に任じ、刑事第二局勤務を経て、1891年(明治24年)大審院部長に進み、1892年(明治25年)7月、司法官弄花事件懲戒裁判長を仰せ付けられた[3]1900年(明治33年)会計検査官懲戒裁判所裁判官となり、同年判検事弁護士試験委員長を務めた[1]。1903年(明治36年)12月3日、胃癌により自邸で薨去した[3]

栄典

位階
勲章等

脚注

注釈

  1. ^ 『国民過去帳 明治之巻』では12月2日薨去。

出典

  1. ^ a b c d e f 人事興信所 1903, 123頁.
  2. ^ 上田ほか 2001, 1537頁.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 大植 1935, 700頁.

参考文献




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