単独調査とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 20:24 UTC 版)
「川崎市都市モノレール計画」の記事における「単独調査とその後」の解説
1978年には、沿線の多摩区・高津区で2、3年間でアセスメントを実施すると報じられた。1980年度、1981年度には川崎市が都市モノレール計画関連基礎調査を実施した。1980年度の調査では車両デザイン案、駅の俯瞰図、「タウンライナー」という名称案が示された。1981年度の調査では、新百合ヶ丘 - 溝の口の区間を先行して部分開業する計画に変更された。1981年、川崎市が設置した交通に関する研究会が、川崎縦貫高速鉄道とともに本モノレール路線の必要性を訴えている。しかし1982年度以降は調査は行われなかった。都市モノレール計画の中止により、川崎縦貫高速鉄道は鉄道空白地を少しでも埋めるようにルート変更された。その後、川崎縦貫高速鉄道の計画も中止となり、川崎市北西部には大きな鉄道空白地が残ることになった。
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