南唐二陵の発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/23 17:13 UTC 版)
1950年春、夫子廟の市場にて骨董品を売る不審な店を警官が見つけ、店の主人を尋問をしたところ、骨董品は盗掘品であることが判明し、一人の盗掘団の仲間が逮捕された。事件の報告を受けた南京市軍管会主任の劉伯承は、ただちに押収した出土品の鑑定を南京博物院に指示、関係部門にも事件を精査するよう要求した。 事の発端は、数人の牧童が祖堂山南麓の太子墩と呼ばれる場所で牛を放牧していたところ、牧童たちは雨により崩れ出た穴を発見したことであった。好奇心旺盛な牧童たちは、穴の中の探検に入っていき、明器と陶俑を探し出した。後に一人の盗掘者に知られ、墓の副葬品が運び出されたが、夫子廟の市場に出土品が出回っているところを摘発されたのだった。 南京博物院院長の曽昭燏(曽国藩の四弟の曽国潢の曾孫娘)は、指示された出土品の鑑定で、いくつかの玉のかけらから金で「維保大元年」と「子嗣皇帝臣瑶」と刻まれた文字を発見し、彼女は驚き喜んだ。保大は中主李璟の年号で、瑶は李璟のことであった。この発見はただちに報告書にまとめられ、軍管会主任の劉伯承に報告されて、南京博物院院長の曽昭燏が自らが発掘調査に参加することになる。 欽陵入口 欽陵内部 順陵入口 順陵墓主室 資料館
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