卒業アルバム事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 07:29 UTC 版)
「静岡市立清水第二中学校」の記事における「卒業アルバム事件」の解説
1987年10月頃から、清水市立第二中学校(当時)は翌年の卒業アルバムの制作にとりかかった。校則に違反する髪型や服装をした約10名の生徒に対しては、正して写真を撮るよう指導したが、そのうち男女4名の生徒は是正を拒否。提出期限の1988年1月末になっても応じなかったことから、学校は生徒たちの顔写真を花壇の花の写真に差し替えて卒業アルバムを発行した。 「卒業アルバム事件」は新聞各紙で報じられ、同年3月31日には参議院法務委員会で取り上げられるに至った。橋本敦は同委員会で、第二中学の措置は人格権の侵害であり、児童憲章違反であるとして当局を追及した。 これを契機として文部省は方針を180度転換。同年4月25日、文部省初等中等教育局長は都道府県教育委員会中等教育担当課長会議において、校則の見直しを教育委員会に対し指示した。校則を最小限のルールにとどめること、児童生徒の自主性尊重などが促された。
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