十八松平と久松松平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 09:56 UTC 版)
江戸幕府では、徳川家康の男系親族である十八松平のうち大名になった者は、親藩ではなく譜代大名とする。十八松平は、家康の祖父である松平清康の時代までに分家したルーツを持つ十八家である。これらは関東入部以降「御一門」と呼ばれた。 家康の異父弟の家系の久松松平家も、親藩ではなく譜代大名(一門の格)である。例えば、松平定信は田安徳川家に生まれたが、陸奥国白河藩の久松松平家に養子に入ったため、譜代大名として老中となり、寛政の改革にあたることになった。 久松松平家の諸系統のうちで最も有力であった、伊予国松山藩主と伊勢国桑名藩主(一時高田藩→白河藩)の家系は、譜代大名ながら田安宗武の子の定国・定信を養子として藩主を継がせたので、親藩待遇となった。 その他の久松松平家の諸藩 美濃国大垣藩→信濃国小諸藩→下野国那須藩→伊勢国長島藩、改易 伊予国今治藩 下総国多古藩 はあくまで譜代大名である。
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