北海道開発庁時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 09:08 UTC 版)
中川が北海道に戻った時、北海道は社会党の天下であり革新系の田中敏文が社会党に担がれて北海道知事に当選した。中川は可愛がってくれた教授が書いた紹介状を持参して、九州大の先輩にあたる田中の下を訪れたが、来客が多くなかなか面会しようとしない田中にしびれを切らし、紹介状を焼いてしまった。 1951年(昭和26年)、北海道開発庁が設置され、開発担当官となる。昭和28年(1953年)大野伴睦北海道開発庁長官の秘書官を務め、大野に見出されることとなる。 大野長官はわずか7ヶ月の在職で、自民党総務会長に転じた。後任の長官は緒方竹虎で、副総理との兼務であった。中川はそのまま、緒方長官のもとでも秘書官を務め、第5次吉田内閣総辞職のあと、開発庁の開発専門官に異動させられた。
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