北海道の夜明け
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 00:24 UTC 版)
囚人労働は北海道各所で行われ、命を落とした中には思想犯とされた自由民権派の思想家もいた。また、後のタコ部屋労働の母体ともなった。1970年(昭和45年)前後する頃から、北海道各地の住民を主体として、明治以降の北海道開拓における囚人やタコ労働、朝鮮人・中国人強制労働、先住民などの底辺民衆の歴史を掘り起こし、開拓功労者として再評価し、顕彰する運動が各地で盛んとなり、鎖塚はその民衆運動の象徴的な史跡として有名になった。 鎖塚は全国の高等学校の国語教科書の教材にも採用され、1981年(昭和56年)に横浜で行われた自由民権百年全国集会でも紹介された。鎖塚、常紋トンネルやイトムカ鉱山でのタコ労働を題材に、小池喜孝は第29回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書ともなった児童生徒向けの本である、『北海道の夜明け-常紋トンネルを掘る』(1982年、国土社)を著わした。
※この「北海道の夜明け」の解説は、「鎖塚」の解説の一部です。
「北海道の夜明け」を含む「鎖塚」の記事については、「鎖塚」の概要を参照ください。
- 北海道の夜明けのページへのリンク