勝_(カバネ)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 勝_(カバネ)の意味・解説 

村主 (カバネ)

(勝_(カバネ) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 17:10 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

村主または(すぐり)は、ヤマト政権のもとで行われた(かばね)の一つ。「主村」とも記す[1]

概要

語源は、「族長」を意味する古代朝鮮語[2]に由来し、村落団体の首長が任命されたの地方官職名か、あるいは漢人(あやひと)集団の統率者の敬称ともいわれる。韓・漢からの帰化人渡来人)系中小豪族に与えられ、5世紀から6世紀にかけて形成された技術を用いる漢人集団の統率者の敬称が、7世紀後半以降にへと転換したようである[1]

「村主」姓氏族のすべてが帰化人(渡来人)の後裔であり、なかでも漢氏系がもっとも多い。「坂上系図」に引用されている『新撰姓氏録』第二十三巻の逸文には、高向村主・桑原村主など、応神天皇の時代に阿知使主とともに渡来したとされる30の村主氏族が載せられている。

「村主」と同様に「すぐり」と読まれるに「」があるが、これは村主と性格を異にする[1]。「村主」が東漢氏系列の氏族の姓であるのに対して、「勝」は秦氏の支配下にあった首長に与えられたものであり、『日本書紀』には、雄略天皇15年に秦氏の民が「」・「」に恣意的に使役されていることを秦酒公が嘆いたため、天皇が秦の民を解放して酒公に下げ渡し、そのお礼にと酒公は「百八十種勝(ももあまりやそのすぐり)」を率いて、調の絹・縑(かとり)を奉って、朝廷に積み上げた、という伝承が掲載されている[3]

また、日本の村主は、新羅の地方官職名「村主」とも直接的な関係はない[1]

天武天皇13年10月(684年)に八色の姓が制定され、制度としての「村主」姓は消滅した[4]

脚注

  1. ^ a b c d 前之園亮一『村主』小学館日本大百科全書〉、1993年4月1日。ISBN 4095269308
  2. ^ 古代朝鮮語「スキ(村)」・「ニリム(主)」より。村をスキと読む例は、他に白村江(はくすきのえ)の戦いがある。
  3. ^ 『日本書紀』雄略天皇十五年条
  4. ^ 『日本書紀』巻第二十九・天武天皇十三年十月一日条

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「勝_(カバネ)」の関連用語

勝_(カバネ)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



勝_(カバネ)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの村主 (カバネ) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS