労使交渉とストライキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 07:33 UTC 版)
「メジャーリーグベースボール選手会」の記事における「労使交渉とストライキ」の解説
これ以後経営者側は、フリーエージェント選手を獲得した際に、元の球団に「見返り」と称してドラフト会議での指名権の譲渡を盛り込んだが、経営者側はこれを更に踏み込んだ仕組みにすることでフリーエージェント制の「骨抜き」を目論んだのである。 結局1981年に50日間に及ぶストライキが行われて、6月12日から8月1日に及び、713試合が中止になった。経営者側、選手側双方とも多額の損失を出したが、経営者側はロイズ社に対してストの保険金をかけていた。ストライキが解除になったのは、経営者側への保険金支払いが尽きたこととも関係がある。シーズンは前後期制の変則日程となった。 1984年12月に基本協約が切れ、新たな基本協約を結ぶことになった。当時コミッショナーはピーター・ユベロスに交代したばかりで、ユベロスは強力に指導力を発揮した。この時も交渉が決裂し、ストライキになったが2日中断だけで済んだ。のちに5年の新協約に合意した。
※この「労使交渉とストライキ」の解説は、「メジャーリーグベースボール選手会」の解説の一部です。
「労使交渉とストライキ」を含む「メジャーリーグベースボール選手会」の記事については、「メジャーリーグベースボール選手会」の概要を参照ください。
- 労使交渉とストライキのページへのリンク