助手と弟子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 09:48 UTC 版)
「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の記事における「助手と弟子」の解説
「小悪魔」を意味する「サライ」という通称で知られるジャン・ジャコモ・カプロッティがレオナルドの邸宅に住み込んだのは1490年である。その後1年足らずで、サライはレオナルドの金銭や貴重品を少なくとも5度にわたって盗んだ。サライはこれらの盗品を高価な衣装の購入に充て、レオナルドはサライの不品行を「盗人、嘘吐き、強情、大食漢」と論っている。しかしながらレオナルドはサライをこの上なく甘やかし、その後30年にわたって自身の邸宅に住まわせている。サライはアンドレア・サライという名前で多くの絵画を描いた。しかしながら、レオナルドがサライに「絵画について非常に多くのことを教えた」が、レオナルドのほかの弟子たち、例えばマルコ・ドッジョーノ(英語版)、ジョヴァンニ・アントーニオ・ボルトラッフィオ(英語版)らの作品に比べると、レオナルドの作品の贋作ばかりで、芸術的価値に劣るといわれている。1515年にサライは『モナ=ヴァンナ』として知られる、『モナ=リザ』の裸体ヴァージョンの絵画を描いている。後にレオナルドが死去すると、サライは『モナ・リザ』を譲られた。サライはこの『モナ・リザ』は505リラの価値があると考えていたが、この評価額は当時の小さな肖像画としては異例なまでに高額だった。 レオナルドは1506年にロンバルディアの貴族の子息フランチェスコ・メルツィを弟子にした。メルツィはレオナルドお気に入りの弟子で、レオナルドがフランスへ移住したときにも同行し、レオナルドが死去するまで起居を共にしている。メルツィはレオナルドの遺産として、芸術、科学の諸作品、写本、コレクションを贈られ、遺言執行人にも任命されていた。
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