剥製製作
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 00:11 UTC 版)
東京科学博物館に届けられたハチの死体はひどく汚れて臭気も発していたため、まず時間をかけて念入りな洗浄が行われた。ハチは持病のフィラリアがあったため獣医らにより奉仕治療が行われていたが、注射を打つために前肢の毛が剃られており、四肢の内側を剥ぐために皮膚の切開を行うと皮膚が浮き上がっていて皮下に貯まっていた注射液が流れ出した。毛が剃られた部分は他の部分から毛が移植された。 垂れた左耳は内側の軟骨部が付け根部分で咬み抜かれており、胃には焼き鳥の串が数本あった(東京大学の解剖記録によれば胃の中に折れた串が数本あったが胃壁に刺さってはいなかった)。 製作は石膏で精密な塑像を制作し、その上に毛皮を被せる手法「坂本式剥製法」で作成された。骨格は全て取り除かれているため、残っているのは爪と指骨だけである。剥製が完成したのは6月13日で、本田晋が作成したケースに収められ、2日後の15日に東京科学博物館で開眼式が執り行われた後、一般公開された。 制作者の本田晋86歳時の述懐によれば、ハチ剥製の胴体には後々の事を考えて「いつ死に、いつ作られ、誰が作ったのか」を記載した封筒をこっそり収めた。何万点も剥製を作ってきたが、そんな事をしたのはハチの剥製だけである、と記している。
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