前植民地時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 00:02 UTC 版)
現在のボゴールに人が定住したのは、5世紀のタルマヌガラ王国の時代だと言われている。近隣のシュリーヴィジャヤ王国との幾たびかの争いを通じて、タルマヌガラ王国はスンダ王国に替わった。669年、スンダ王国の首都が、チリウン川とチサダネ川の間に建設され、「パクアン・パジャジャラン」と名付けられた。これは古スンダ語で「平行した(川)の間の土地」という意味である。これが、現在のボゴールの先祖となった。 続く数世紀の間、パクアン・パジャジャランは、中世インドネシアの最大の都市の一つとなり、その人口は48,000人に達した。パジャジャランという名前は、王国の名前としても使われ、首都は、単にパクアンと呼ばれた。この時代の歴史は、公的、宗教的な目的で使われるサンスクリットで書かれている。それはインドのパッラヴァ朝の文字を使用して岩石の表面に彫られている。これはプラサスティと呼ばれている。ボゴール周辺で見付かったプラサスティは、形の上でも文書のスタイルもインドネシアの他の地域で見つかったものとは異なっている。このプラサスティは、ボゴールの重要な見所の一つとなっている。 9~15世紀の間、首都はパクアンと王国の他の都市の間で動いていたが、シルワンギ王 (Sri Baduga Maharaja) の戴冠式の日(1482年6月3日)にパクアンに戻る。1973年以降、この日はボゴールの市の祝日として祝われている。 1579年、パクアンはバンテン王国に占領され、ほぼ完全に破壊され、スンダ王国は消滅した。この街は捨てられ、数十年間は無人の地となった。
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