前川かずおから高橋信也への交代
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「坂井宏先」の記事における「前川かずおから高橋信也への交代」の解説
1992年7月、ズッコケシリーズの挿絵を第1作から担当していた前川かずおが急性白血病で入院し、面会謝絶となった。 同年12月1日に『ズッコケ三人組対怪盗X』の刊行を予定していた坂井は12月刊行を諦めかけたが、別の人気シリーズが画家の妊娠によって1年休刊したばかりに売れなくなってしまったという苦い経験を持っていた上、ポプラ社会長の田中治夫(当時)から「坂井君、こども達は待っているぞ」と言われたことで決心を固め、前川に無断で高橋信也に「前川先生そっくりの画を描いてくれないか」と持ちかけ、「それは無理です。前川先生に失礼ですよ」と固辞する高橋を強引に説得して前川タッチのイラストを描かせた。 その後、前川夫人にそのイラストを見せ「実は12月には、どうしても本を出したいんです。先生の病状は良くなりませんし、このままでは本が出せませんので」と説明した。前川夫人は「あなたは一体、何を考えているの。主人は今、病気と闘って生きるか死ぬかの境をさまよっているんですよ」、「画家を代えるなら別シリーズにしてほしい、というのが夫の考え」と反撥したが、坂井は「こども達は待っているんです」と田中の言葉を引用して前川夫人を説得し、最終的には前川夫妻の諒承を取り付け、12月24日の同書刊行を実現した。 前日から自宅に一時帰宅を許されていた前川に向かって坂井が「ありがとうございました。本ができました」と本を差し出すと、前川はその1ページ1ページを慈しむように見ながら「よかったね。よかった、よかった」と我が事のように喜んだ。前川は、刊行から約3週間後の翌1993年1月13日、55歳で死去した。
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