前九年の役と安倍氏の滅亡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:05 UTC 版)
「安倍氏 (奥州)」の記事における「前九年の役と安倍氏の滅亡」の解説
安倍氏は婚姻などによって勢力を拡大し、忠良の子、安倍頼時の代に最も勢力を広げた。安倍氏は奥六郡(現在の岩手県内陸部)を拠点として糠部(現在の青森県東部)から亘理・伊具(現在の宮城県南部)にいたる地域に影響力を発揮していた。しかし後に頼時が朝廷と対立し、源頼義率いる官軍との間で前九年の役が起こる。頼時は途中で戦死し、その後を子の安倍貞任が継いだが、仙北の俘囚主清原氏が度重なる頼義の要請に応えて参戦すると支えきれず安倍氏は敗れ貞任も戦死して安倍氏は勢力を失った。 頼時の三男・安倍宗任、五男・安倍正任はそれぞれ、伊予(のちに筑前の宗像)、肥後に配流された。また、亘理(宮城県亘理町)の豪族で、安倍氏に加担して没落寸前となった、奥州の藤原氏当主・藤原経清の妻となっていた頼時の娘(有加一乃末陪)は清原武貞の妻となり、息子(後の藤原清衡)も武貞に引き取られ、養子となった。清原氏は安倍氏の地位を受け継いだが、後三年の役で滅亡し、清衡がその地位を継承して奥州藤原氏が興隆することとなる。
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