前イスラーム革命期の議会
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「イランの議会」の記事における「前イスラーム革命期の議会」の解説
「イラン立憲革命」も参照 マジレスは1906年から1979年の前イスラーム革命期には「国民議会 (ペルシア語: مجلس شورای ملی Majles-e Showrā-ye Mellī)」の名を取り、下院として機能し、イラン上院とともに立法府を形成した。 国民議会はイラン立憲革命によりイラン1906年憲法に基づいて設置され、1906年10月6日(イラン暦1285年メフル月13日)開会された。パフラヴィー朝初代モハンマド・レザー・シャーのもとで議会は速やかに権力を蓄積。パフラヴィー朝下、注目すべき議会通過法案には1951年3月15日の「石油国有化法案」、1967年の「家族保護法」などがある。後者は離婚の際の親権など、女性に多くの基本的権利を与えるものであった。 女性の議会選挙における選挙権・被選挙権が認められたのは1963年、シャーの白色革命の一環としてである。しかしながら、アーヤトッラー・ホメイニーなどシーア派宗教指導者をはじめとする伝統主義者は白色革命を西洋化であるとして危険視。1963年6月5日の蜂起とホメイニーの国外追放につながることになる。このような混乱をへて女性議員も参加しての第21期議会が招集されたのは1963年10月6日のことであった。 国民議会としての最後のマジレスが開催されたのは1979年2月7日(イラン暦1357年バフマン月18日)である。
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