制作と位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/04 18:34 UTC 版)
「ストロベリー・フィールズ (記念碑)」の記事における「制作と位置」の解説
このセントラルパークの記念碑は、セントラルパーク管理委員会(英語版)のランドスケープ・アーキテクト長、ブルース・ケリーによってデザインされた。ストロベリー・フィールズは、ニューヨーク市長のエド・コッチとレノンの未亡人でプロジェクトの費用を負担したオノ・ヨーコによって、レノンが45歳になっていたであろう1985年10月9日に捧げられた。 記念碑への入口はセントラルパーク・ウェストと西72丁目(英語版)の交点にあり、レノンが最期の生活をおくり、1980年に殺害された現場であるダコタ・ハウスの真向かいにあたる。記念碑は、公園の2つの方向に傾く三角形の土地であり、その三角形の焦点にはレノンの有名な楽曲の題「イマジン」の一語がはめ込まれた石で描かれた円形のモザイクがある。これは、ナポリ市から寄贈されたものである。モザイクを取り囲む他のエリアとの境界は、その他の個人を記念して寄贈され、セントラルパーク管理委員会によって管理されているベンチが設置してある。南東への小道に沿った結晶片岩の飾り板には、記念碑の建造を支援した国家のリストが記載されている。未だにダコタ・ハウスに住むオノ・ヨーコは、造園及び維持費として、100万$以上を寄付した。
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