初演・出版の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 14:35 UTC 版)
「交響曲第1番 (プロコフィエフ)」の記事における「初演・出版の経緯」の解説
『古典交響曲』の初演は、1918年4月21日にペトログラードにおいて、作曲者が指揮する元ロシア帝室オーケストラによって行われた。聴衆は1916年に初演された『スキタイ組曲』のようなモダンな作品を期待していたが、プロコフィエフが一転して軽快で解り易く美しい作風を示したことに驚いたとされる。この初演から約半月後の5月7日、プロコフィエフは『スキタイ組曲』や『ピアノ協奏曲第1番』などとともに『古典交響曲』の楽譜を携えて旅立ち、ウラジオストックからロシアを出国、日本を経由してアメリカ合衆国に亡命した。 その後、音楽的に保守的なアメリカに嫌気が差したプロコフィエフは1923年からはパリで暮らすようになる。1925年には指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーが創設した「ロシア音楽出版社(Editions Russes)」から『古典交響曲』の楽譜が出版された。また、プロコフィエフは1931年に『古典交響曲』全曲のピアノ編曲を行っている
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