初期のレーシングキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 16:47 UTC 版)
「カール・ヴェンドリンガー」の記事における「初期のレーシングキャリア」の解説
オーストリアのチロル地方の出身で、祖父も父親もモータースポーツ経験を持つ。1983年にカートレースを始め、1984年にドイツ・ジュニアカートチャンピオンを獲得した。 1987年にフォーミュラ・フォード1600でオーストリアチャンピオンを獲得。父親の知人であるゲルハルト・ベルガーにスポンサー獲得の協力を受け、ベルガーの師であるヘルムート・マルコのF3チームに所属する。1988年にはオーストリアF3で、1989年にはドイツF3でチャンピオンを獲得した。 その後、ミハエル・シューマッハ、ハインツ=ハラルド・フレンツェンとともにメルセデス・ベンツの若手ドライバー育成プログラム(メルセデス・ジュニアチーム)のドライバーに選ばれた。この3人はヨッヘン・マスのパートナーとして交代で1990年の世界スポーツプロトタイプカー選手権に参戦しており、日本では「メルセデス三羽烏」と呼ばれた。この年スパ・フランコルシャンで開催された第4戦で1勝を挙げている。また、国際F3000選手権にもヘルムート・マルコが運営するマルコ・RSMから参戦した。 翌1991年にはフレンツェンが離脱したのに対し、ヴェンドリンガーはシューマッハとコンビを組んで同世界選手権への参戦を継続し、オートポリスで開催された最終戦で優勝した。これは、この年にル・マン24時間レース以外のスプリントレースでプジョー・905とジャガー・XJR-14以外の車両が挙げた唯一の勝利となった。国際F3000では3位1回を獲得した。
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