刈谷古城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 10:19 UTC 版)
1.刈谷城、2.刈谷古城 刈谷城の前身として刈谷古城(元刈谷城)が存在したとされる。15世紀代の禅僧・万里集九による紀行文『梅花無尽蔵』の、文明17年(1485年)の「矢作在三川、蓋水野所住刈屋城東三里」との記述を根拠に、刈谷市教育委員会は文明年間(1469年-1486年)に水野貞守により築城されたとしている。その後、天文2年(1533年)水野忠政による現在の刈谷城築城により廃城となったという。 ただし、江戸時代の元文5年(1740年)成立の『三河国二葉松』「参州古城記」には刈谷古城(元刈谷城)について記述がなく、緒川城から刈谷城に移転したと書かれている。安永9年(1780年)成立の『三河古城記』や徳川家・織田家の史料、元禄15年(1702年)成立の『藩翰譜』水野家所伝にも記述がない。『尾張群書系図部集』(加藤國光 編 1997年『尾張群書系図部集』続群書類従完成会)においても水野貞守は緒川城主とのみなっており、実態は良くわかっていない。 古城の城跡は現・刈谷城の南約1キロメートルの刈谷市天王町2丁目・6丁目とされ、現地表上に明確な遺構はなく宅地および畑となっているが、「刈谷古城(県遺跡番号530104)」として周知の埋蔵文化財包蔵地となり、灰釉陶器や山茶碗が発見されている。市道をはさんで南に本刈谷神社がある。
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