分家・支族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 14:20 UTC 版)
九鬼守隆の四男九鬼隆重は、綾部藩において兄の藩主隆季から寛文元年(1661年)に500石の分知を受け、その子孫は綾部藩の一門家老家として続いた。明治維新後には文部官僚として活躍し、その勲功により男爵に叙爵された九鬼隆一を輩出した。哲学者の九鬼周造はその四男である。 九鬼嘉隆の末子は父に従って関ヶ原の戦いで西軍について戦後に落ちのび、その子孫は幕府領の伊勢国四日市に定住し、商家として栄えた。この家系は四日市九鬼家と呼ばれ、明治以降には九鬼産業を興して近代的な事業経営者となり、九鬼紋七・九鬼紋十郎・九鬼喜久男などが実業家と共に政治家にもなった。
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