出生・韓国併合から公族時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 07:25 UTC 版)
「桃山虔一」の記事における「出生・韓国併合から公族時代」の解説
太皇帝高宗の五男で皇帝純宗の異母弟である義親王李堈の長男として、韓国併合前年の大韓帝国に生まれた。韓国併合を受けて公族としての教育を受けるために幼少時に渡日し、学習院中等科を経て、1930年(昭和5年)に陸軍士官学校を卒業し(42期)、陸軍騎兵将校となる。同年、父の隠居に伴い公位を継承する。1938年(昭和13年)に陸軍大学校(51期)を卒業する。 1931年(昭和6年)10月、騎兵少尉時代に、海軍大佐松平胖(松平頼聡伯爵の十男)の長女で、伯爵廣橋眞光の養妹の誠子(よしこ、戦後に佳子と字を改めた、1911年 - 2006年)と見合い結婚した。 陸軍大学校兵学教官(陸軍中佐)として終戦を迎えた。
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